乳幼児期の環境と体験について

 乳児期およびその後の幼児期の体験は、その子の人間形成に大きな影響を与えます。なぜなら、人間の脳は、「刺激」という経験によってその神経回路が形成されていくからです。ここでいう「刺激」とは、科学的な意味あいが強く、嗅覚・視覚・味覚・聴覚・触覚が電気信号となって脳に入力され、その「体験」を脳が理解して記憶する一連の神経作用を指します。体験とは、脳が刺激入力を同時または順序だてて処理して理解するまでを言います。したがって、たとえ親が良いことだと思って刺激を与えてやっても、それが良くない感情や悪い刺激と同時に入力されてしまうと、子どもにとっては「最悪の体験」として刻まれてしまうこともあり得ますし、逆に良い感情や心地よい刺激と共に入力された刺激は「最高の体験」として心に刻まれることもあり得ます。

 乳児期、とくに一歳までの子どもは脳がまだ未発達ですが、その反面、外界の刺激を吸収しつつそれに反応を返すことで脳を作り上げている真っ最中ともいえます。脳神経学的にも、人間の赤ちゃんの脳は生まれた時点で未熟であり、脳細胞は分裂してどんどん脳実質の容量が大きくなるだけでなく、脳の神経細胞(ニューロン)同士をつなぐ細胞(抑制性介在ニューロン)の大移動が起きています。このように脳が成長するとともに、赤ちゃんは様々な動きや習慣を獲得し始めます。1歳になるまで、赤ちゃんは最初はあおむけで寝て哺乳を一生懸命にしていますが、やがて視線がしっかりして首が座ったと思ったら、今度はゴロゴロ寝返りを打ち始め、やがてハイハイやお座りを経て独り立ち、独り歩きを始めます。そしていつの間にか訳の分からない言葉を話し始めたと思ったら、だんだんと意味ある単語を発し始めます。この間、赤ちゃんはただボーっと寝て起きて飲んでを繰り返しているわけではありません。赤ちゃんは様々な刺激を吸収してそれに反応することを延々と繰り返すことによって、脳を育てています。また、睡眠中も、脳細胞が受けた刺激を整理していると言われています。このようにして脳を育てることで、様々な行動を獲得していきます。

 1歳を過ぎると、様々な複雑な行動を起こすことができるようになります。まだ話すことはできない子でも、親の簡単な指示に従えるようになったり、自分でいろいろなことをやりたがろうとします。「〇〇をもってきて」と言えばそれをもって来たり、「△△をパパに渡して」というとその通りにできるようになります。毎日家庭で繰り返し同じようなことをすることによって、それらが習慣づけられるとともに、言語を理解して行動することもできるようになってきます。

 前回の記事で取り上げた「前頭前野統合(PFS)」の機能は、3歳から育ち始めることが分かっています。PFSを育てることは、想像力を育てることと同じであり、さらには再帰性言語を獲得することとも一致すると考えられています。再帰性言語とは、文章の中に文章を組み込んで、それを無限に繰り返すことが可能な言語のことです。具体的には、「絵を描いている人の絵を描いている人の絵を描いている人の絵を描いている………」といった具合に、文章の中の文章が一つの塊になって、それが組み込まれた文章がさらに大きな塊になることを可能にする言語のことです。世界中には様々な言語がありますが、ほとんどすべての言語は再帰性言語の構造をしています(英語では、先の例文は、’A man is drawing the picture of a man who is drawing the picture of a man who is drawing the picture of a man………’と表現できます)。実は、この再帰性言語の能力は、3歳から6歳までの間にしか育たないと言われています。不幸にも、7歳まで恵まれない環境で育ってしまった子どもの中には、十分な言語能力を獲得できない人たちがいます。そのような子どもに7歳以降にどんなに頑張って言語能力を身に着けさせようとしても限界があることが分かってきています。つまり、人間の脳は、もともと放っておいても言語を獲得するわけではなく、その土台は6歳ごろまでに完成する(してしまう)ことが分かってきています。したがって、幼児期の教育の質が、その子の将来の言語能力(理解力・想像力)に直結するといっても過言ではないと言えます。この6歳までというのは、脳の成長が最も速い時期にも一致しています。これらのことから、私は3歳からの言語教育をきちんとすることが子どもの将来の能力に重要であると考え、多くの保護者の方にそのように説明し、そのために絵本を読んだり、年齢とともに徐々に複雑な文章で話しかけるようにしてあげてくださいと説明しています。

 このような話をすると、「じゃあ幼児教育は3歳からで十分だ」と思われる方がいるかもしれませんが、私はそうは思いません。なぜなら、3歳の時点で再帰性言語の獲得や想像力を養うための素地が脳に備わっていないといけないからです。想像性や再帰性言語をスムーズに獲得するには、あらかじめ脳の性能が磨かれていることが望ましいといえます。例えば、プロ野球選手を目指すのであれば、そもそも運動神経が良くなければいけないのと一緒です。
 では、創造性や言語能力の素地とはなんなのでしょうか。この領域の専門家は、「想像とは、脳内で異なる複数のイメージを合体させたりそれらの位置関係を変化させることであり、その際に脳神経回路は、脳に記憶してあるイメージを同時に活性化することによって、複数のイメージを同時に意識する必要がある」と指摘しています。少し難しい話になってきましたが、簡単にいうと、「赤い帽子をかぶった鳥」をイメージするには、「赤」と「帽子」と「鳥」という3つのイメージを同時に脳内で刺激して思い出し、それらを正確な位置関係に置きなおす必要があるということです。
 この「同時に刺激する」ということを覚えこませることこそが、脳の素地になるだろうと予想されます。脳細胞がバラバラでしか機能しない状態では、想像することは困難になります。(ちなみに、PFSの機能がある外側前頭前野という部分にある脳細胞が、脳内の複数の箇所を同時刺激する「指揮者」であると考えられています。)

 同時に脳を刺激するのに良い方法とはなんなのでしょう。積み木で遊んだり、歌を歌ったり、これらは良い脳への同時刺激になります。なぜなら、積み木を積むとき、子どもは掴んでいる積み木の重さを認識しながらそれを保持し、それを目的の場所に持っていき、積み木を介してテーブルの面を感じて置きながら離すという複雑なことを「同時に」やっているからです。この積み木の過程では、眼から入る視覚情報と手からの触覚刺激を常に更新しながら腕と手を刺激して運動させています。まさに同時刺激の訓練と言えます。歌を歌うことも同時刺激の訓練です。記憶を頼りに歌を奏でて、その自分の音を聞きながらそれに拍子を合わせながら次の音を出して、を繰り返しています。
 積み木や歌を越えて最も有効であると私が考えているのが、乳幼児期のリズム遊びです。歌や音楽に合わせて身体全体を動かすことは、聴覚、触覚、視覚の刺激を受けながら、拍子に合わせて手足や体幹の運動刺激をするという、かなり複雑な脳の活動です。複数の同時刺激を受けつつ同時にリズムに合わせながら運動刺激もする脳活動の体験とその繰り返しは、その子の能力の基礎を作り上げてくれると考えています。

追記:
運動と音楽の関係について、どこかで書こうかと思っています。これらは非常に密接な関係があります。運動も音楽も、拍子(リズム)がその上手さに不可欠であるからです。宮本武蔵が『五輪書』の中で、兵法においても「拍」が重要であると指摘していることは、洗練された動きにはリズムが不可欠であることを言っているのであると思います。