プロローグ~こどもの生活環境の危機~

昨今、日本は不況や物価高、少子高齢化など、暗いニュースが多い。世界に目を向けると、戦争や宗教紛争、食料やエネルギー資源をめぐる争いなどは、昔と変わらぬ様相で繰り返され、日本も無関係ではいられない。現代において、我々の暮らしが豊かさを実感しにくい背景には、人口減少や教育環境の脆弱化を起因とした国の経済活動や国際活動の停滞、人の心にまで及ぶ貧しさがあるのだろう。これから先、我々やこどもたちの世代は、ますます広がる世界を舞台に、様々な課題に直面していくことが想定される。だからこそ、若者には、世界に遅れをとらぬよう、なるべく正しく洗練された自分の考えを持ち、広い視野で世界を理解し、知恵を出し合いながらより良い未来を築く力をつけてほしい。そして、安全で豊かな日本を次の世代に繋いでいくために、こどもたちがそうした力を身につけられるよう大人が成長を支援していく必要がある。

私は、現代日本の、こどもを育てる環境が脆弱であることについて強い危機感を抱いている。本来こどもたちは、希望に満ち、毎日を自由闊達に過ごし、将来大きな仕事を成し遂げるために様々な挑戦と失敗を繰り返し経験しなければならない。こどもに関わるあらゆる人間は、栄養、休息、遊びが充足できていない環境が当たり前になってきていることに危機感を覚えなければならない。食事の量と質、睡眠をはじめとした毎日のリズムの確立、自然環境における保育の充実など、こどもに適した生活環境を用意して社会の芽を大切に強く育てることが社会の責任であり、同時にそれが社会全体の希望になっていくはずである。本来大切なはずの教育環境が、不適切な状態で放置されつつある日本社会において、理想の保育および幼児教育とは何かを問いかけ、提示し、実践していく環境を築いていくことが、社会全体の利益に資すると私は考えている。

 育児環境の脆弱化が起こってしまう理由のひとつに、「こどもの生活環境が大人の事情によって決定されてしまう」という社会構造の問題がある。そこには現日本社会の「意志なき意思」が作用している。大人がこどもに時間やお金、知恵をかけようとする意志が存在せず、したがって地域や国にもそういった意志が存在せず、それが結果として社会の意思となってこどもたちの生活環境が充実しないまま放置され続けている。日本には、大人の都合により、こどもをとりあえず預けられる場所が数多に存在する。しかしながら、果たしてそれらはこどもたちの未来にとって理想的な場所となっているのだろうか。彼ら彼女らは幼少期から完ぺきとは程遠い脆弱な環境で立派に育つのだろうか。教育は0歳から始まり、6歳までの言語教育や創像的思考の積み重ねがその後の大人になったときの知能に影響する。取り返しようのない貴重な日々を、なるべく洗練された環境、豊かな食事、有意義な体験で満たすことが、こどもの将来に有益である。我が子たちが、大きく羽ばたく姿を想像したとき、はじめの一歩からしっかりとした場所で子育てをするべきである。そういった環境設定ができる親の元で育つこどもは、その親の姿を見て自然と力強くなる。困難に立ち向かい、目的に適った目標を成し遂げる大人がそばにいて、そういった大人が作った環境、空気、情熱の下で育つこどもは、その大人のようにこの世界に希望を与えられる人に育つだろう。

 こどもが立派な人間に育つためには、洗練された環境や習慣が学童期以降も持続していくことが不可欠である。充実した乳児・幼児期の教育だけでは立派な人間に育たない。休日の過ごし方、家での過ごし方も、こどもの人間形成に大きく寄与する。幼稚園や学校にこどもを預けて全て任せっきりでは、こどもは強く育たない。名のある幼稚園に通わせること、進学塾に通わせること、偏差値の高い大学に通わせること、これだけではまともな強さの大人には育たないことは、巷に溢れる過去の多くの事例が既に明確に証明してしまっている。どういう場所で食事をするか、どういう情報を得るか、どういうことを日々考えるか、どれだけ体を動かすか。こどもの感情や行動はそのこどものこれまでの経験の現れであり、日常の習慣や活動が人間の心を形成する。子育てとは、こどもの育ちを観察することで現在の心と身体の状態を理解し、その子にとって最もよい環境設定をして自分でよりよい選択ができるように導いてやることである。そのためには、親がこどもの発達に早期から寄り添っていくことが不可欠である。1歳の我が子の状態を知るためには0歳の時にどのように過ごしたかを知っておく必要がある。2歳児の通常の発達を知っておくと、今後自分の子がどのような環境や周囲の働きかけで成長できるかが少し分かるようになる。そういったことの連続でこどもは成長していき、そして、これもとても重要なことなのであるが、子育てを通して親がこどもと同じくらいに成長していく。間違っても「自分が大人だと勘違いした大きなこども」が、目の前の将来あるこどもを育てるという悲劇は避けたい。

幸か不幸か、こどもは自分で成長環境を選択できない。したがって、親が代わりに理想的な成長環境を探し、作り、維持してやる必要がある。これは過保護とは別次元の話である。こどもが自分で選択すべきことは自分で選択させ、自分で実行すべきことは自分で実行させることは当たり前である。しかし、どこで成長するか、どのような家族やその友人に囲まれて成長するかはこどもには選択する余地がないからこそ、親の采配は重要である。

 以上のことを解決し達成するために、私は新しい形のこども園を提案したい。現在、日本には多数のこども園や幼稚園があり、ほとんどの園は、利用者が直接または間接的に園にお金を払い、その対価として仕事などの間にこどもを預かってもらう場所となっている。この一般企業のような「会社とお客様」の関係性ではないこども園をいつか私は作りたいと思っている。預けっぱなし、任せっきりではなく、親がこどもの保育や教育に部分的にでも携わることで、こどもと共に大人が成長することができる園を作りたいと考えている。こどもが何を考え、どのように育っていくか、この世界を自由に渡り人生を全うするためにどのような力が必要かを親や教育者が日々考え議論や相談をしながら過ごすことが、独立した個人、家族、国、次世代創生のために必要不可欠である。その大前提として、洗練された幼児教育理論が必要不可欠である。それも、科学的な根拠に根付いた、そして理に適った教育理論が。

 私は、こどもたちが本来の地球の姿である自然の中で様々な経験を通して心身ともに健やかに成長し、社会や地球、そして宇宙へと思考を広げながら、自らの未来を拓き、周りの人々と協力し、共に幸せを分かち合える人になることを願う。そして、次の時代の新たなる形の幼児教育が築かれることで、日本社会が真の活気と豊かさを手に入れるための一助となることを目指す。