教育の目的:我が子らを哲人に育てあげる

私が考える教育の主たる目的は、哲人となるための礎をこどもの中に芽生えさせることである。哲人は豊かな想像力と論理的な思考力をもって善意に基づいて行動し、優しく強い大人として社会貢献を達成するために生きる。善意は心から自然に湧き出ると同時に自然科学や論理的思考に基づいた深い洞察によって熟成されて初めて本物となる。社会貢献とは、美しい地球を子々孫々のため将来にわたって保存する活動を指し、その活動によって強き者を賢くさせ、弱き者を救い守るものである。 子を育てる大人もしたがって哲人に近しいもしくはそこを目指す人たちである。大人たちは、常に善意に基づいた目的や目標を意識して行動し、真に社会的貢献度の高い価値を創出することを目的に生きる。

プロローグ~こどもの生活環境の危機~

昨今、日本は不況や物価高、少子高齢化など、暗いニュースが多い。世界に目を向けると、戦争や宗教紛争、食料やエネルギー資源をめぐる争いなどは、昔と変わらぬ様相で繰り返され、日本も無関係ではいられない。現代において、我々の暮らしが豊かさを実感しにくい背景には、人口減少や教育環境の脆弱化を起因とした国の経済活動や国際活動の停滞、人の心にまで及ぶ貧しさがあるのだろう。これから先、我々やこどもたちの世代は、ますます広がる世界を舞台に、様々な課題に直面していくことが想定される。だからこそ、若者には、世界に遅れをとらぬよう、なるべく正しく洗練された自分の考えを持ち、広い視野で世界を理解し、知恵を出し合いながらより良い未来を築く力をつけてほしい。そして、安全で豊かな日本を次の世代に繋いでいくために、こどもたちがそうした力を身につけられるよう大人が成長を支援していく必要がある。

私は、現代日本の、こどもを育てる環境が脆弱であることについて強い危機感を抱いている。本来こどもたちは、希望に満ち、毎日を自由闊達に過ごし、将来大きな仕事を成し遂げるために様々な挑戦と失敗を繰り返し経験しなければならない。こどもに関わるあらゆる人間は、栄養、休息、遊びが充足できていない環境が当たり前になってきていることに危機感を覚えなければならない。食事の量と質、睡眠をはじめとした毎日のリズムの確立、自然環境における保育の充実など、こどもに適した生活環境を用意して社会の芽を大切に強く育てることが社会の責任であり、同時にそれが社会全体の希望になっていくはずである。本来大切なはずの教育環境が、不適切な状態で放置されつつある日本社会において、理想の保育および幼児教育とは何かを問いかけ、提示し、実践していく環境を築いていくことが、社会全体の利益に資すると私は考えている。

意志なき意思からの脱却

 育児環境の脆弱化が起こってしまう理由のひとつに、「こどもの生活環境が大人の事情によって決定されてしまう」という社会構造の問題がある。そこには現日本社会の「意志なき意思」が作用している。大人がこどもに時間やお金、知恵をかけようとする意志が存在せず、したがって地域や国にもそういった意志が存在せず、それが結果として社会の意思となってこどもたちの生活環境が充実しないまま放置され続けている。日本には、大人の都合により、こどもをとりあえず預けられる場所が数多に存在する。しかしながら、果たしてそれらはこどもたちの未来にとって理想的な場所となっているのだろうか。彼ら彼女らは幼少期から完ぺきとは程遠い脆弱な環境で立派に育つのだろうか。教育は0歳から始まり、6歳までの言語教育や創像的思考の積み重ねがその後の大人になったときの知能に影響する。取り返しようのない貴重な日々を、なるべく洗練された環境、豊かな食事、有意義な体験で満たすことが、こどもの将来に有益である。我が子たちが、大きく羽ばたく姿を想像したとき、はじめの一歩からしっかりとした場所で子育てをするべきである。そういった環境設定ができる親の元で育つこどもは、その親の姿を見て自然と力強くなる。困難に立ち向かい、目的に適った目標を成し遂げる大人がそばにいて、そういった大人が作った環境、空気、情熱の下で育つこどもは、その大人のようにこの世界に希望を与えられる人に育つだろう。