【保護者の皆様へ】

 現代という混迷の時代において、真に「豊かな人生」を歩める大人とはどのような存在でしょうか。日本社会の教育環境が脆弱化し、デジタルという受動的な刺激に子供たちの脳が晒され続ける今 、私は一人の小児科医として、また発達の専門家として、皆様に一つの確信を提示しなければなりません。
 それは、こどもの個々の知的能力の成長は6歳までに決しているということです 。
 近代社会以降、多くの大人が、小学校入学後の「知識の詰め込み」と「問題演習技術の習得」に心血を注ぎ続けています。しかし、土台となる「脳の器」が完成していない状態での教育はいわば砂上の楼閣です。小学生になって複雑な事象を理解し思考技術を獲得していく前に、幼少期にやっておくべきこと、そしてやらないべきことが明確にあります。
 私が提唱するのは、自らの脳内で情報を緻密に分析し、新たな価値を創り出す力——「創像力」の育成です。この力こそが、6歳までにほぼ完成され、将来、自然科学や論理的思考を自在に操り、善意に基づいて社会に貢献できる「哲人」への強力な鍵となります。我が子を、時代の荒波に流されない「優しく強い大人」へと育てあげるために、今この瞬間から、科学の法則に則った本物の教育を始めましょう。

【創像力:知性の最深部へ】

 なぜ、6歳までの過ごし方が一生の知能を左右するのか。それはヒトの脳が持つ驚異的なシステム、PFS(prefrontal synthesis:前頭前野統合)が可能にする創像という機能に由来します。
・脳のピラミッド構造:ヒトの脳内では、断片的な情報を司る細胞がピラミッド状の集団を形成し、それらが緻密に連携することで個々の事象を記憶しています。それらの無数の神経細胞集団を、創像力の源であるPFSという能力によって自在につなぎ合わせることで複雑な思考が可能となります。したがって、このPFS(または創像力)という脳機能を育てることが、高度な知的活動の土台づくりに不可欠なのです。
・創像と分析の止揚:既知の概念を解体する「分析」と、それらを組み合わせて未知の像を編み出す「創像」。この反復こそが、脳のネットワークを整然と構築し、情報処理の圧倒的な効率化をもたらします。
・言語と知能の臨界期:将来の高度な言語能力に不可欠である再帰性言語(文章の中に入れ子構造を作る能力)は、3歳から6歳のゴールデンタイムにのみ獲得されることが科学的に示唆されています。実は、この3歳から6歳のゴールデンタイムは、PFSの機能獲得時期にも一致しています。この時期に本物に触れず、受動的な刺激に甘んじることは、将来の論理的思考力の礎を自ら放棄することに他なりません。
 私たちは、単に「勉強ができる子供」を作りたいのではないはずです。こどもたちには、自律したリズムで生活し、自然の摂理を理解し、自立した体と精神によって、豊かな知恵をもって世界を導く人になってほしいと思います。

教育の目的:我が子らを哲人に育てる 

私が考える教育の主たる目的は、哲人となるための礎をこどもの中に芽生えさせることです。哲人は豊かな想像力と論理的な思考力をもって善意に基づいて行動し、優しく強い大人として社会貢献を達成するために生きます。善意は心から自然に湧き出ると同時に自然科学や論理的思考に基づいた深い洞察によって熟成されて初めて本物となります。社会貢献とは、美しい地球を子々孫々のため将来にわたって保存する活動を指し、その活動によって強き者を賢くさせ、弱き者を救い守るものです。
 子を育てる大人もしたがって哲人に近しいもしくはそこを目指す人たちである必要があります。こども園の職員や保護者である大人たちは、常に善意に基づいた目的や目標を意識して行動し、真に社会的貢献度の高い価値を創出することを目的とします。

私が幼児教育について語るときに大切にしたいと思うことは、科学的根拠に基づいていることにこだわりたいということです。この世にはたくさんの幼児教育の理論がありますが、科学的事実や根拠に基づかないものがほとんどと思います。教祖様のような存在の保育士や園長が信念や思い込みで理論というよりも信仰を実践しているようなものもあります。「〇〇式」「○○型」といったもののほとんどはそういうものと思います。あくまでも、科学者という視点でこどもの発達を分析し、幼児教育について語るべきと思っています。難しい話になりますが、真にこどものことを思う人々のためになる書き物になるよう細心の注意を払って書きます。

プロローグ ~こどもの生活環境の危機~

 私は、現代日本の、こどもを育てる環境が脆弱であることについて強い危機感を抱いています。本来こどもたちは、様々な挑戦と失敗を繰り返し経験することで、毎日が希望に満ち、自由闊達に過ごし、将来大きな仕事を成し遂げることができるようになります。こどもに関わるあらゆる人々は、栄養、休息、遊びが充足できていない環境が当たり前になってきていることに危機感を覚えなければなりません。食事の量と質、睡眠をはじめとした毎日のリズムの確立、自然環境における保育の充実など、こどもに適した生活環境を用意して社会の芽を大切に強く育てることが社会の責任であり、同時にそれが社会全体の希望になっていくはずです。本来大切なはずの教育環境が、不適切な状態で放置されつつある日本社会において、理想の保育および幼児教育とは何かを問いかけ、提示し、実践していく環境を築いていくことが、社会全体の利益に資すると考えます。

意志なき意思からの脱却

育児環境の脆弱化が起こってしまう理由のひとつに、「こどもの生活環境が大人の事情によって決定されてしまう」という社会構造の問題があります。そこには現日本社会の「意志なき意思」が作用していると思います。大人がこどもに時間やお金、知恵をかけようとする意志が存在せず、したがって地域や国にもそういった意志が存在せず、それが結果として社会の意思となってこどもたちの生活環境が充実しないまま放置され続けているということです。日本には、大人の都合により、こどもをとりあえず預けられる場所が数多に存在します。しかしながら、果たしてそれらはこどもたちの未来にとって理想的な場所となっているのでしょうか。彼ら彼女らは幼少期から完ぺきとは程遠い脆弱な環境でも立派に育っていくのでしょうか。教育は0歳から始まり、6歳までの言語教育や創像的思考の積み重ねがその後の大人になったときの知能に影響します。取り返しようのない貴重な日々を、なるべく洗練された環境、豊かな食事、有意義な体験で満たすことが、こどもの将来にとって有益です。そういった環境設定ができる親の元で育つこどもは、その親の姿を見て自然と力強くなります。困難に立ち向かい、目的に適った目標を成し遂げる大人がそばにいて、そういった大人が作った環境、空気、情熱の下で育つこどもは、その大人のようにこの世界に希望を与えられる人に育つでしょう。